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2014年6月27日 (金)

「日本現代史」 68. 1945-2001年(9)…沖縄…

海外ロングステイ先で歴史研究 140.として記述します。

☆ 「日本現代史」 68. 1945-2001年(9)…沖縄…

1972年(昭和47年)5月15日に沖縄の日本復帰が実現しましたが、沖縄にある米軍基地は、僅か15%しか減っていません。日本本土の米軍基地の面積が60%減少したことと比べれば、その不公平さが際立っています。

1995年(平成7年)2月、当時の米国国防総省のジョセフ・ナイ国防次官補は、通称「ナイ・リポート」と呼ばれる「東アジア戦略報告」をまとめ、連邦議会に提出しました。その中で、これからもアジア・太平洋地域の安定のために、10万人の米軍を東アジアに駐留させる方針を示しました。10万人の米兵の中心は、在韓米軍の3万7千人と、在日米軍の4万7千人です。在日米軍の中心は、沖縄でした。冷戦終結後も、米国は沖縄の基地を維持する方針を打ち出しているのです。

1995年10月には、米兵による少女暴行事件も起こりました。沖縄の苦しみは続いています。村山社会党連立政権の後を継いだ自民党総裁の橋本 龍太郎内閣は、1996年4月、米国との交渉の結果、「宜野湾市に広がる普天間飛行場を、五年から七年以内に全面返還させること」で、合意しました。返還の条件の中に、「沖縄県内に、ヘリコプター基地を新設すること」があり、その候補地が沖縄県北部の名護市・辺野古(へのこ)地区にされたのです。

2000年(平成12年)7月、開催された「サミット(西側の首脳会談)」の会場は、この名護市でした。米国のクリントン大統領も参加して、「平和の礎」で演説もしました。沖縄の日本への返還後、初めて沖縄を訪れた米国大統領は、「沖縄の基地を手放す気持ちがないこと」を、あらためて表明したのです。

2001年6月、沖縄県北谷(ちゃたん)町で、20代の沖縄女性が、米軍軍曹に暴行される事件が起こりました。しかし、実際の逮捕までに、4日間も費やしてしまいました。「日米地位協定」が原因だったのです。沖縄で米兵による犯罪が起きるたびに、この「日米地位協定」が問題になります。この年の10月には、沖縄県宜野湾市で県民8万5千人(沖縄本島の人口の一割)による、「沖縄県民総決起大会」が開かれました。米兵の暴行事件に抗議すると共に、「米軍基地の撤去・縮小」を求めたのです。

1972年から1999年までの間に、米軍兵士・軍属・家族による刑法犯罪は、沖縄県で4953件(そのうち、殺人・強盗・強姦や放火という凶悪事件は523件)起こりましたが、日本の警察力が充分に機能しないのは、「日米地位協定」と、「日米安保条約」があるためです。早急に「沖縄の治外法権状態」を改善する必要性があります。

「11章のその後」という池上さんの記述はありませんが、民主党代表・鳩山 由紀夫首相による発言・「普天間基地の移転先は、最低でも『沖縄県外』」が、迷走し、沖縄県民を失望させました。日本政府による「沖縄問題」への真摯な取り組みを望みます。   つづく

都合により、暫くの間、休ませていただきます。再開は9月8日の予定です。

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