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2014年6月26日 (木)

「日本現代史」 67. 1945-2001年(8)…沖縄…

海外ロングステイ先で歴史研究 139.として記述します。

☆ 「日本現代史」 67. 1945-2001年(8)…沖縄…

1972年(昭和47年)5月の沖縄の返還は、「核抜き本土並み」と表現はされていましたが、米軍基地の「質と量」は、決して本土並みではありませんでした。本土復帰に伴う基地の縮小は、ごく僅かに留まり、実質的な変化はなかったのです。沖縄住民の意に副わない処置ということで、これを「第二の琉球処分」と表現することがあるようです。

第一の「琉球処分」とは、明治政府によって、琉球が強制的に「沖縄県」にされたことを指すのです。琉球の歴史を振り返りますと、1492年に尚 巴志(しょう はし)によって統一されるまでは、いくつもの地方にそれぞれの「王」が割拠していました。彼によって統一され、「琉球王国」が成立したのです。

その後、琉球王国は、中国の明の皇帝に貢物を献上する一方、鹿児島の薩摩藩とも関係を持つという「二重構造」の中で、王国の独立を維持していたのです。しかし、1609年、琉球は薩摩藩の軍勢に攻め込まれて、「属領」になってしまい、以後薩摩藩から搾取を受け続けることになりました。後に明治維新の際、薩摩藩が中心勢力になれたのは、「琉球から搾取した財政力が力になったのだ」ともいわれています。

1871年(明治14年)に、日本本土で「廃藩置県」が実施されました。その8年後の1879年(明治22年)、明治政府によって琉球は強制的に「沖縄県」にさせられてしまいました。明治政府は警察や軍隊を動員して、琉球王国の城・「首里城」の明け渡しを求め、琉球国の国王・尚 泰王を退位させたのです。これが、「琉球処分」だったのです。こうして、琉球王朝450年の歴史は終ったのです。

沖縄が米軍支配から脱し、本土復帰したにもかかわらず、その復帰が「琉球処分」を想起させるやり方との強い批判があります。さらに、沖縄では米軍基地をめぐる問題は依然続いているのです。沖縄の米軍基地は、復帰後、日本政府が土地を借り上げ、米軍に無料で使用させる形に変わりました。自分の土地を基地に使われることを嫌う地主に対しては、5年間は「沖縄公用地暫定使用法」(公用地法)で、その後の5年間は「沖縄地籍明確化法」によって、「強制借り上げ」が続いていました。地主が契約を拒否した場合、市町村長あるいは県知事が、代理署名せねばなりません。

当時の太田沖縄県知事が署名を拒否したため、皮肉にも「基地撤去」を求めてきた日本社会党総裁で社会党連立内閣の村山 富市首相が署名したのです。   つづく

 

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