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2014年6月19日 (木)

「日本現代史」 62. 1945-2001年(3)…沖縄…

海外ロングステイ先で歴史研究 134.として記述します。

☆ 「日本現代史」 62. 1945-2001年(3)…沖縄…

1945年(昭和20年)6月23日は、沖縄に上陸した米軍の猛攻で日本軍が組織的な抵抗を終えた「沖縄の終戦の日」でした。沖縄は、本土の終戦の日・「8月15日」より前に戦いは終っていたのです。生き延びた沖縄の住民は、16ヵ所に設けられた収容所に入れられ、米軍から服や食料を支給されました。

住民を収容所に入れて、無人になった沖縄に、米軍は「日本本土攻撃準備」のため「巨大な軍事基地」を次々に建設しました。米軍は必要な土地を確保した上で、「不要な土地は住民に返す」という方法をとりました。基地造りのために、土地を奪われた住民は、米軍の指定する場所に移住するしかなかったのです。「沖縄に米軍基地が多い」という最初の理由は、この頃の米軍の行動によったものでした。

日本全体が降伏した後も、沖縄は米軍が直接統治する「軍政」が続きました。東西冷戦が激化する中で、米軍は沖縄を「太平洋のキーストン(要石)」に位置づけました。沖縄は台湾に近く、中国と台湾の紛争が起きた場合、沖縄の米軍基地から米軍がすぐに駆けつけられます。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が始まってからは、24時間自由に使える基地の存在は、米軍にとって貴重なものになりました。基地は増えこそすれ、減ることはなかったのです。

それでも、米軍の軍政から、1950年12月には、「琉球列島アメリカ民政府(USCAR)」が設置されました。と言ってもそれは建前だけで、実際の民生長官は、東京の極東軍総司令部が兼務し、副長官は「現地沖縄の軍司令官」だったのです。

1951年(昭和26年)9月8日、「サンフランシスコ講和条約」が結ばれ、日本は独立を果たしましたが、「沖縄は米国の支配下」に残され切り離されてしまったのです。   つづく

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