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2014年6月17日 (火)

「日本現代史」 60. 1945-2001年(1)…沖縄…

海外ロングステイ先で歴史研究 132.として記述します。

☆ 「日本現代史」 60. 1945-2001年(1)…沖縄…

池上 彰著・「そうだったのか!日本現代史」第11章は、太平洋戦争末期・1945年(昭和20年)3月23日の米海軍による沖縄本島への艦砲射撃から始まった沖縄の歴史です。第11章の表題は「沖縄は返ってきたけれど」です。

太平洋戦争で、太平洋の島々を守る日本軍を次々に全滅させた米軍は、沖縄攻略戦争を「アイスバーグ(氷山)作戦」と名づけ、1500隻の艦船と、延べ54万8千人の兵員を投じて沖縄に向かいました。1945年3月23日の米海軍による艦砲射撃からはじまり、3月26日には慶良間諸島に上陸しました。追い詰められた住民700人もが「集団自決」するという悲惨な出来事が起こりました。4月1日には、沖縄本島に米軍が18万3千人の部隊で中部の西海岸に上陸し、住民を巻き込んだ激しい地上戦が始まったのです。

迎え撃つ日本軍は、旧王城・首里城の地下に「司令部」を設置しました。沖縄で動員された地元住民・防衛隊員・学徒兵などを含めても、11万6千人と劣勢でした。十三歳以上の男子は「兵士」に、十五歳以上の女学生は「看護要員」になるという総力戦だったのです。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高女の生徒計219人は、沖縄南部の南風原(はえばる)陸軍病院の看護活動のために動員され、「ひめゆり学徒隊」と名づけられました。陸軍病院は、米軍の攻撃で破壊され、看護にあたっていた生徒たちのほとんどは、米軍の艦砲射撃などで死亡してしまったのです。終戦後、この悲劇は「ひめゆりの塔」という題名で映画化され、日本人の多くが知るところとなりました。   つづく

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