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2014年6月16日 (月)

「日本現代史」 59. 1946-2004年(7)…「公害」…

海外ロングステイ先で歴史研究 131.として記述します。

☆ 「日本現代史」 59. 1946-2004年(7)…「公害」…

1956年(昭和31年)熊本県水俣市で起こった「水俣病」は、当時、国は責任を認めず、1990年10月に東京地裁・熊本地裁・福岡高裁などの「和解勧告」を日本政府は「拒否」しました。ところが、国の頑なな態度は、社会党の村山内閣の誕生で転換され、1996年(平成8年)5月に東京高裁の和解勧告を受けて、国は「和解」を受け入れました。

原告は、国と県に対する訴えを取り下げましたので、「国の責任は明確にされません」でした。原告が和解の道を選んだのは、訴えから16年も経って、原告の患者たちの高齢化が進んだためといわれています。ただし、関西に移り住んだ水俣病患者だけは、国と熊本県の責任を明らかにしたいと、「和解を拒否」して大阪高裁に訴訟を起こしていました。2000年(平成12年)4月、大阪高裁は「国と県の責任を認める判決」を言い渡しました。

しかし国は責任を認めず、最高裁に上告したのです。最高裁は、2004年(平成16年)10月大阪高裁の判決を支持して、国と県の責任を認めました。裁判は決着し、汚染された水俣湾から魚が湾外に出ないように張られた「仕切り網」は1997年(平成9年)に撤去されたものの、「水俣病問題」は、決着したとはいえません。ヘドロの除去は完全とはいえませんし、患者の病が完治したわけではありませんから。

池上さんは、次の点にも焦点を当てていました。チッソ水俣工場で働いていた従業員の立場です。自分の働いている工場の廃水が原因であることに気づいていても、終身雇用のもとで、自分が働く「企業の犯罪」を告発できないことで、被害を広げてしまった無念さです。

1997年12月、京都で「地球温暖化防止会議」が開かれ、今後各国がどう対応すべきかの道筋を描く「京都議定書」が採択されました。日本をはじめ世界164カ国が批准しましたが、大国・米国が、「二酸化炭素の防止対策は、自国の経済発展に悪影響をおよぼす」と主張して、実施に反対しているのが、気がかりな点です。また、中国の大気汚染や水質汚染もなおざりに出来ない問題です。

環境か経済発展かという問題は、世界的な規模での協力が望まれる「全人類的な選択」が必要になるでしょう。   つづく

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