« 「日本現代史」 54. 1946-2004年(2)…「公害」… | トップページ | 「日本現代史」 56. 1946-2004年(4)…「公害」… »

2014年6月10日 (火)

「日本現代史」 55. 1946-2004年(3)…「公害」…

海外ロングステイ先で歴史研究 127.として記述します。

☆ 「日本現代史」 55. 1946-2004年(3)…「公害」…

後に「水俣病」と名付けられた公害が発生したのは、1956年(昭和31年)4月で、「水俣市奇病対策委員会」が設置されたのは、5月下旬でした。ところが発生源と疑われていた肥料工場を水俣市に持つ「チッソ」の協力を得られず、調査は難航しました。さらに、「チッソ」は、1958年(昭和33年)9月には、廃水の色を変える工作・「汚染隠し」まで行って、責任逃れをしました。

1959年(昭和34年)7月になって、熊本大学医学部の研究班が「水俣病が有機水銀中毒であること」をつかみ、チッソ水俣工場の工場廃水中の化学物質の中に水銀が含まれていると推定しました。有機水銀は体内に入ると全部が吸収され、血流に乗って全身を回り、脳の内部に入って神経細胞に付着・脳神経細胞破壊をするのです。

研究結果が発表されると、水俣市の鮮魚小売商組合は、「水俣湾とその近海でとれた魚は、一切買わないこと」を決議しました。水俣湾の漁民は、生活の糧を奪われることになり、怒りは「チッソ」に向けられました。8月から11月にかけて、排水停止を求める漁民による「チッソ」への漁業補償要求や漁民による工場乱入・施設破壊まで起こりました。「水俣市はチッソの企業城下町」だったからでしょうか、一方では同年11月に水俣市長・商工会議所・農協・チッソ労組・地区労など28団体による「水俣工場の排水停止は市民全体の死活問題になるので、排水停止は行わないように」との陳情が行われました。

熊本大学の「有機水銀説」に対して、東工大の清浦教授などから「有機アミン説」・「爆薬説」・「農薬原因説」などが提起され混乱しました。1959年(昭和34年)には、厚生省の食品衛生調査会は、「水俣病の原因物質は有機水銀化合物である」と、答申しました。厚生省は、水俣病については通産省に対策をとるように求めていました。「産業第一主義の通産省」だったからでしょうか、「チッソ」を守る立場にたって、対策をとろうとしませんでした。また、厚生省も強い態度をとらなかったのです。両省とも、「患者の生命を守るため」の行動をとらない「無責任体制」の官庁だったといわざるをえません。

「チッソの廃水が原因」という政府見解が確定するのは、発生から実に12年後の1968年(昭和43年)でした。   つづく

|

« 「日本現代史」 54. 1946-2004年(2)…「公害」… | トップページ | 「日本現代史」 56. 1946-2004年(4)…「公害」… »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「日本現代史」 55. 1946-2004年(3)…「公害」…:

« 「日本現代史」 54. 1946-2004年(2)…「公害」… | トップページ | 「日本現代史」 56. 1946-2004年(4)…「公害」… »