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2014年6月 6日 (金)

「日本現代史」 53. 1946-2004年(1)…「公害」…

海外ロングステイ先で歴史研究 125.として記述します。

☆ 「日本現代史」 53. 1946-2004年(1)…「公害」…

池上 彰著・「そうだったのか!日本現代史」第10章は、1946年(昭和21年)富山県神通川流域に発生した「イタイイタイ病」から始まります。高度経済成長で汚染がひどくなるまで、辞書に「公害」という言葉が載っていなかったのですが、岩戸景気(1958-1961年)の頃から頻繁に使われるようになりました。ところが、公害は終戦直後の1946年から顕在化していたのです。第10章の表題は、「『公害』という言葉が生まれた」です。

イタイイタイ病は、富山市の萩野病院・萩野 昇院長が1946年に発見しました。全身に痛みを感じ、ひどいときには咳をしただけで肋骨が折れるような症状が出る病気でした。入院してくる多数の患者が「痛い痛い」と苦しむところから、「イタイイタイ病」と名づけられました。患者たちは、リウマチ・脊椎カリエス・骨軟化症などと診断されていましたが、神通川の水を田んぼの水に使ったり、飲料水にする地域に患者が集中したことから、専門家による調査が始まりました。

調査の結果は、農作物にも人体にも、カドミウム・亜鉛・鉛が含まれていることが分かり、「カドミウムを中心とする重金属の慢性的中毒」という見解が、患者発生から15年後の1961年(昭和36年)にまとまりました。神通川上流の三井金属鉱業・神岡鉱山の排水に含まれているカドミウムが原因でした。カドミウムは、体内でカルシウムと置き換わり、骨を侵します。特に女性は、骨のカルシウムが溶け易いため、患者数も多数にのぼりました。

神岡鉱山側は、「カドミウム無害説」や「ビタミンD欠乏説」などで反論し、因果関係の確定や患者の救済は進みませんでした。1968年(昭和43年)5月に「公害病」に認定されましたが、患者たちが訴訟を起こすまで、事態の進展はありません。1971年6月富山地裁が原告勝訴を言い渡しました。これに納得しない三井金属鉱業は控訴しましたが、名古屋高裁の裁定もあって、会社側は上告を断念し、判決は確定したのです。原因企業の責任を別にしても、行政も患者の救済に乗り出さなかった事実は、後日政府の責任として、強い批判を受けることになりました。   つづく

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