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2014年6月 5日 (木)

「日本現代史」 52. 1953-1973年(6)…高度経済成長…

海外ロングステイ先で歴史研究 124.として記述します。

☆ 「日本現代史」 52. 1953-1973年(6)…高度経済成長…

1970年(昭和45年)には、大阪の千里で、アジアで初めての「万国博覧会」が開かれました。「人類の進歩と調和」をテーマに、世界77ヶ国が出展し、半年間の会期中に、6422万人の観客を集めました。岡本 太郎が設計した「太陽の塔」や、前年に米国のアポロ11号が地球に持ち帰った「月の石」が展示され、話題を呼びました。

神武景気(1954-1957年)と岩戸景気(1958-1961年)の後、1965年(昭和40年)11月から始まり1970年(昭和45年)7月までの57ヵ月間続いた好景気は、「いざなぎ景気」と呼ばれました。前例がないことを強調するために、日本の「国造り神話」に登場する日本を造った神様・「いざなぎの尊(みこと)」の名前まで動員されたのです。

高度経済成長は、日本経済全体に発展をもたらしたのは事実ですが、恒常的なインフレをはじめさまざまな「歪(ひずみ)」も派生させてしまいます。大都市の工業地帯では工場からの排煙・排水・廃棄物が大きな問題になり、「公害」を発生させました。農村から都市に多数の人たちが移り住み、新興住宅地が広がりました。そこから都心へ通勤する人が増えて、「殺人的なラッシュ・アワー」も生まれました。新興住宅地には、子どもたちが多数生まれ、幼稚園・保育所・小中学校・公的な病院などの不足は、深刻となるのです。道路も未整備のまま、各所で「大渋滞」が日常化してしまいます。この悪化した生活環境を改善するため、さまざまな「住民運動」や「消費者運動」もこの時代に盛んになりました。

アジアでは、ベトナム戦争(1960-1975年)が激しさを増した時代でもありました。若者たちの中には、既成の概念・既成の秩序に反旗を翻す大学生たちも生まれました。かつて、貧しさの中から立ち上がった若者が時代の共感を得ましたが、高度経済成長の「豊かな社会」でも「不満な若者が生まれる」という事実を日本中に知らしめました。1973年(昭和48年)に勃発した「第四次中東戦争」を機に、アラブ産油国が「原油の減産と大幅な値上げ」を行ったいわゆる「第一次オイル・ショック」の影響で、日本の高度成長時代は終りました。

池上さんは、「第九章のその後」で、次の記述をしています。

「日本の高度経済成長を象徴する業態だったスーパーマーケットは、やがて転機を迎えます。急激な店舗拡大路線は、多額の資金を金融機関から借り入れることで成り立っていました。しかし、1990年代の金融不安によって、金融機関の貸し渋りが発生すると、大手のスーパーマーケットでも経営危機に直面しました。…スーツなら安売り紳士服店、カジュアルな衣料ならユニクロというように、商品ごとに専門店が登場しました。…個性的な店が求められるようになってきているのです。」…と。   つづく

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