「日本現代史」 47. 1953-1973年(1)…高度経済成長…
海外ロングステイ先で歴史研究 119.として記述します。
☆ 「日本現代史」 47. 1953-1973年(1)…高度経済成長…
池上 彰著・「そうだったのか!日本現代史」第9章は、1953年(昭和28年)の東京・青山の青果店・紀ノ国屋が「スーパーマーケット」という「セルフ・サービス」を基本にした安売り店を開いた話から始まり、日本の高度成長時代の活況に焦点が当てられます。この章のテーマは、「高度経済成長 豊かな日本への歩み」です。
1950年(昭和25年)は、日本はまだ貧しい国でした。当時の一万田 尚登・日銀総裁が「日本で自動車工業を育成しようと努力することは無意味だ。今は国際分業の時代だ。米国で安くて良い車ができるのだから、自動車は米国に依存すればよいのではないか」と、談話を発表していたのです。
ところが、日本の自動車産業は、日銀総裁の意に反して大飛躍したのです。日本政府がとった「外国車の輸入制限と国産車育成の施策」が成功したのです。1955年(昭和30年)にはトヨタがトヨペット・クラウン、ニッサンがダットサン110、富士精密工業(後のプリンス自動車)新型プリンス、いすずが新型ヒルマンを発売しました。その二年後に米国に輸出されたトヨペット・クラウンが、米国のハイウエーでの高速走行で、技術的に難があったとの話がありましたが…。
スーパーマーケットに話を戻しますと、1957年(昭和32年)、大阪に「主婦の店・ダイエー」がオープンしました。その後大きく発展する「ダイエー」の一号店でした。同社の中内 功(いさお)社長が次々に各地に出店しました。それまでの対面販売が普通だった商店に比べると、店員の数が大幅に削減され、人件費の節約ができたのです。その分、商品価格を下げることで、人気を博しました。ほかにも各地にたくさんのスーパーマーケットができ、「価格決定の主導権」は、メーカーや問屋からスーパーマーケットに移るという「流通業界の秩序破壊」も生じました。 つづく
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