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2014年5月27日 (火)

「日本現代史」 45. 1945-2002年(6)…文部省対日教組…

海外ロングステイ先で歴史研究 117.として記述します。

☆ 「日本現代史」 46. 1945-2002年(6)…文部省対日教組…

1950年代は、「君が代」を日本軍の侵略のシンボルとして日教組が反対していましたが、1977年(昭和52年)の学習指導要領改訂では、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」に変わりました。さらに、1989年(平成元年)の改訂では、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するように指導するものとする」という表現に変わりました。

文部省と日教組は長年にわたり、対立を繰り返していましたが、1989年(平成元年)は「日教組の分裂」で転機を迎えました。日教組の内部では、「社会党系の主流派」と「共産党系の反主流派」があって、対立と妥協を繰り返してきましたが、共存できないまでに対立が深まりました。1989年に、労働組合の連合体である「連合」への加盟を巡って、反対する反主流派は、日教組から離脱して「全日本教職員組合(全教)」を結成しました。日教組は分裂したのです。

1994年社会党の村山 富市委員長が組織した社会党・自民党の連立内閣が成立すると、社会党は大胆な「方針変更」を行って、文部省との「協調路線」をとることになりました。組織内に共産党系の反主流派がいなくなったので、日教組も路線変更が容易になり、内閣同様に文部省との協調を決めました。日教組の組織率は年々減少していましたが、分裂後の1990年には組織率は36.9%、2000年には31.8%で総組合員数34万人余になってしまいました。   つづく

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