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2014年5月26日 (月)

「日本現代史」 44. 1945-2002年(5)…文部省対日教組…

海外ロングステイ先で歴史研究 116.として記述します。

☆ 「日本現代史」 44. 1945-2002年(5)…文部省対日教組…

1950年(昭和25年)当時、「国旗を掲げ、国歌を斉唱すること」を求めた文部省に対し、日教組は反対していました。1958年(昭和33年)になると、文部省は日教組に対して攻勢に出ました。学習指導要領の改訂で、小学校一年生の音楽の教材に「君が代」を指定したのです。

次に文部省と日教組が対立したのは、「全国中学校一斉学力調査」をめぐって起こりました。1961年(昭和36年)から、文部省は中学二年生と三年生を対象に、英語・数学・国語・社会・理科の五教科について同じ日の同じ時間に、全国一斉に試験を実施しました。これに対し日教組は、各地の実情を無視して文部省が一方的に問題を作成することになるので「教育の国家統制を強める」・「生徒の選別や差別を強める」と反対しました。試験結果を公表しないはずが、関係者の知るところとなって、全国的に混乱が広がってしまいました。文部省は、1965年(昭和40年)に規模を縮小し、翌1966年に廃止に追い込まれました。教育改善に役立てるどころか、教育現場を混乱させることになった、文部省の敗北でした。

文部省と日教組は、「教科書検定」をめぐっても闘いました。1965年(昭和40年)、東京教育大学の家永 三郎教授が起こした「教科書検定は憲法違反である」との裁判を日教組が支援したからです。訴訟は第一次から第三次におよびました。東京地方裁判所、東京高等裁判所で家永教授の勝訴や敗訴の裁定が下りましたが、最高裁判所では「検定に行き過ぎがあったと一部の訴えは認められた」ものの、「違憲・違法の訴え」は斥けられました。教科書検定制度は合法的なものと認められたのは、一次訴訟から32年後の1997年(平成9年)でした。  つづく

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