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2014年5月23日 (金)

「日本現代史」 43. 1945-2002年(4)…文部省対日教組…

海外ロングステイ先で歴史研究 115.として記述します。

☆ 「日本現代史」 43. 1945-2002年(4)…文部省対日教組…

文部省と日教組が真正面から衝突したといわれる出来事は、1956年(昭和31年)11月に、愛媛県から始まりました。「先生の通信簿」と呼ばれる「勤務評定」を実施すると愛媛県の教育委員会が発表したからです。県の財政が厳しく、教職員全員を一斉に定期昇給するだけの資金が不足するというのが、表向きの理由でした。「勤務不良」と認定する全体の三割の教職員の定期昇給を見送ろうとしたのです。

愛媛県教育委員会の方針に愛媛県教組は、激しく反発し、反対闘争を繰り広げました。当時は「校長」も組合員だったため、組合は勤務評定拒否を働きかけました。提出を求める教育委員会は、提出しなかった校長を処分しました。教育委員会は、校長を処分したばかりか、組合員に「組合脱退」を勧めました。この教育委員会による組合員への脱退工作で、組合員の脱退が相次ぎ、1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)までに、全組合員の七割に当たる6300人が脱退したのです。闘いは、教育委員会の勝利でした。

勤務評定は、その後文部省の指導のもと、1958年から1959年にかけて全国で実施されました。日教組はこれに反発し、デモ行進や一斉休暇闘争を行いましたが、都道府県の教育委員会に、組合員6万人が解雇・停職・賃金カットなどの処分を受けてしまいました。たとえば、1958年4月23日に行われた東京都教組による「一斉休暇闘争」では、東京都の全教師の98%に当たる35000人が参加しましたが、指導した都教組の幹部は、「違法スト指導容疑」で、次々に警視庁に逮捕されたといわれています。

1958年9月には、組合員の99%が参加した福岡県教組の一斉休暇闘争も実施されましたが、東京都同様、幹部が逮捕されてしまいました。結局は、全国レベルでも、敗れてしまったのです。神奈川県や長野県のように、教育委員会と教組が好関係を築き、新方式を採用したところもありましたが、1958年から実施された「勤務評定」は全国に定着しました。

つづく

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