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2014年5月22日 (木)

「日本現代史」 42. 1945-2002年(3)…文部省対日教組…

海外ロングステイ先で歴史研究 114.として記述します。

☆ 「日本現代史」 42. 1945-2002年(3)…文部省対日教組…

「教育は国家が責任を持つ」という文部省の考え方と、戦後米国が日本に導入した「住民主体」の考え方に違いがありましたので、1947年(昭和22年)に文部省から出された「学習指導要領」には、「試案」という言葉が入っていました。学校で教える内容を定めた指導要領は、教える基準を提示するだけという緩やかなものでした。しかし、1955年(昭和30年)12月の「高等学校学習指導要領」からは「試案」の文字が消え、1958年(昭和33年)10月からは「文部省告示」として官報に記載されるようになりました。法的拘束力を持ち、現場の教師は学習要領に従って教えなければならないとの、厳しいワクがはめられたのです。

また、1956年(昭和31年)、国会で与野党が対立し、参議院では警官隊が国会に入るという異常事態の中で、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が成立しました。教育委員会制度が変更され、「公選」ではなくなり、地方公共団体の長つまり都道府県知事や市町村長が任命し、議会の同意を得るという「任命制」に変わったのです。都道府県教育委員会の教育長は、文部省の承認が必要となり、結果として文部省の力が強まりました。

これらの変更は、日教組には、「戦前型の国家主義教育への『逆コース』」と受け止められました。日教組は支援する社会党や共産党の支援をえて、反対闘争を繰り広げましたが、自民党による強行採決に敗れたのです。   つづく

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