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2014年5月20日 (火)

「日本現代史」 40. 1945-2002年(1)…文部省対日教組…

海外ロングステイ先で歴史研究 112.として記述します。

☆ 「日本現代史」 40. 1945-2002年(1)…文部省対日教組…

池上 彰著・「そうだったのか!日本現代史」第8章は、終戦の年1945年(昭和20年)に日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)の打ち出した教育改革・「日本の教育の民主化」から始まりました。この章のテーマは、「文部省対日教組 教育をめぐって抗争が続いた」です。この改革の第一歩は、「教育を受ける権利」が憲法に明記されたことでした。戦前の日本には、「権利としての教育」という考え方はありませんでしたから。

1947年(昭和22年)6月に、公立の小・中学校の先生を中心に、高校、大学の教職員も参加して、日本教職員組合(日教組)が結成されました。結成当初の参加人数は50万人に達しました。結成大会は奈良県橿原市で開かれ、「新しい民主的秩序の建設と新日本文化の創造に偉大なる役割を担おうとするものである」と、宣言したのです。学校制度は「六・三・三・四制」が導入され、教科書は「国定教科書」から「検定教科書」に変わりました。

1948年(昭和23年)7月には、「教育委員会法」が公布され、都道府県と市町村に教育委員会が設置されました。教育委員は住民から公選で選ばれるという、米国方式の「素人が教育問題を支配し、専門家がそれを補佐する」という方式でした。

1950年(昭和25年)、天野 貞祐文部大臣が、「学校の学芸会や運動会では国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを求める」という談話を発表しました。天野文相は、「共産主義に対する精神的自衛力」として、愛国心を高めるために「日の丸」・「君が代」が必要だと考えましたが、日教組は、「日の丸は太平洋戦争で、日本軍の侵略のシンボルだった」と考えたのです。さらに日教組は、君が代の「君(きみ)」とは、天皇を指しているので、国民主権に反すると考えて、文部省と対立したようです。   つづく

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