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2014年5月19日 (月)

「日本現代史」 39. 1946-2001年(9)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 39. 1946-2001年(9)…日韓条約…

1991年(平成3年)になって、日本に「出入国管理特例法」ができて、朝鮮半島出身者とその子孫であれば国籍欄が「朝鮮」の人にも「韓国」の人にも「特別永住権」が認められようになりました。そして、国籍欄が「朝鮮」の人が「在日朝鮮人」、「韓国」の人が「在日韓国人」と呼ばれます。韓国籍が約46万人、朝鮮籍が約17万人といわれています。

在日韓国人と在日朝鮮人は、常に外国人登録証を携行することが義務付けられ、海外旅行に出た場合は、「再入国許可」を取得しなければ日本に戻れません。民主化が進んだ日本とはいわれるものの、「在日」であることを理由とした就職差別・結婚差別は、明らかに続いています。

ここで、池上さんは日韓の歴史に詳しい韓国の宗教・政治学者である池 明観(ジ・ミョンクアン 1924年生まれ)氏の「1965年の日韓基本条約」に関する見解」を引用しています。

「日韓条約は、韓国国民を銃剣で抑えつけて妥結されたものである。…朴 正ヒ(パク・チョンヒ)政権はその延命策として、日本は経済的利益のために、多くの矛盾をはらんでいても、条約を取りまとめた。そして多くのことを積み残したために、いまでも幾多の問題がくすぶり続けている。…この条約が、韓国の経済的発展に大きなはずみをつけたことは事実である。経済統計の面から見ても、この条約による対日請求権資金は、1966年から1977年に至るあいだ、韓国の経済運営においてかなりの比重をしめた。このような統計よりもさらに重要なことは、韓国はそれから経済のすべての面において日本から学びながら、日本をキャッチ・アップしようという道を歩むようになったことであろう。」…と。

「日韓基本条約」調印の段階で曖昧にしていた日本の責任についても、1990年代以降、日本政府が韓国に謝罪するようになったのです。1998年(平成10年)10月、韓国の金大中大統領が日本を公式訪問した際、当時の小渕 恵三首相と首脳会談を行い、日韓共同宣言を発表しました。その共同宣言の趣旨は、次の通りです。

「小渕首相は、今世紀の日韓関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。金大統領は、…両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した。」…と。

2001年5月、韓国は「日本の中学校の歴史教科書に誤った記述がある」として、日本政府に対し、修正を求めました。日本は、一部の修正に応じたものの、多くの記述は、「明白な誤りとはいえない」と、修正要求を拒絶しました。日本政府のこの回答に韓国は激しく反発して、日韓交流のさまざまな計画が中止されるなど、日韓関係は冷え込んだのです。

金大中政権(1998-2003年)時代の一時的な日韓友好時代があったものの、次のノムヒョン政権(2003-2008年)や李 明博(イ・ミョンバク 2008-2013年)政権は、その末期に「支持率回復をめざしたかに見える『日本敵視政策』」を採用」して、再度ギクシャクした関係に戻したかに見えました。日韓関係は、今でも改善されたとはいえない状況です。   つづく

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