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2014年5月16日 (金)

「日本現代史」 38. 1946-2001年(8)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 110.として記述します。

☆ 「日本現代史」 38. 1946-2001年(8)…日韓条約…

日本は韓国に負けたわけではないので、「賠償金」を支払う必要はないと主張し続けました。1910年(明治43年)の「韓国併合条約」後、日本が韓国に与えた苦痛を考えると、名目はどうであれ保証金の支払いは避けられないと日本も考えていました。1965年(昭和40年)の「日韓基本条約」調印後、その支払いが具体化しました。日本は韓国に対し、3億ドルの無償供与と、長期の低金利の2億ドルの有償援助を行ったのです。

この支払いを、日本政府は「請求権・経済協力」と表現しながら、「経済援助」ないしは「韓国の独立祝い金」と解釈しました。一方、韓国政府はこの資金を「賠償金」と受け止めて、国内向けにはそう説明しました。この資金と引き換えに、韓国政府は、「対日請求権」を放棄しました。これ以降、日本による支配や戦争についての韓国人被害者からの補償要求が出されるたびに、日本政府は「補償問題は法的に解決済み」という立場をとっています。

しかし、条約の調印にあたって、日本から韓国に対し、朝鮮半島支配に関する「反省や謝罪の言葉」はなかったといわれています。条約の仮調印に訪韓した椎名 悦三郎外相が述べた次の言葉のみだったのです。「両国間の永い歴史の中に、不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第でありまして、深く反省するものであります」と。

日韓基本条約の調印とともに、「在日韓国人の法的地位に関する条約」も結ばれました。日本の朝鮮半島統治時代に、日本に渡った朝鮮半島出身者の数は、日本の敗戦当時200万人を超えていました。日本の敗戦で、多くの人たちが帰国しましたが、生活の基盤が日本にある人や家庭の事情で帰国できない人は、そのまま日本に留まりました。これらの人たちは、日本が朝鮮半島を支配していた間は、「日本国籍」を持っていましたが、1952年(昭和27年)の「サンフランシスコ条約」発効後は日本国籍ではなくなっていました。日本に住む外国人は外国人登録証を携帯することが義務付けられていますが、「登録証の国籍の欄」に、朝鮮半島出身者は「朝鮮」と表記するという不安定なものでした。

この日韓基本条約締結後、日本に住む朝鮮半島出身の人たちやその子孫の立場が明確になって「永住資格」が与えられました。義務教育や生活保護についても、日本人に準ずる扱いになって、国民健康保険にも加入することが認められたのです。   つづく

 

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