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2014年5月15日 (木)

「日本現代史」 37. 1946-2001年(7)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 109.として記述します。

☆ 「日本現代史」 37. 1946-2001年(7)…日韓条約…

1963年に就任した朴正ヒ(パク・チョンヒ)大統領の政権下、難航に難航を重ねて13年費やした「日韓交渉」が合意に達し、いわゆる「日韓基本条約」が1965年6月22日に調印されました。この条約では、次の点が重要なポイントでした。 (1)1910年に発効した「日韓併合条約」が失効していることの確認 (2)韓国政府が朝鮮唯一の合法政府であることの確認 (3)相互の貿易の回復 (4)民間航空路の開設 (5)日本から大韓民国(韓国)への資金供与 (6)1952年1月に韓国によって設定された「李承晩ライン」の解消 (7)在日韓国人の法的地位の確定 など。

領海と漁業に関しては、日本は韓国に「漁業協力資金1億ドル」を支払い、韓国周辺での日本の漁獲量を定めることなどで漁業問題は決着し、「李承晩ライン」は撤廃されたのです。

日韓条約は調印されたものの、承認までに、日韓の双方で反対運動が起こりました。韓国内では、日本の植民地支配の責任を明確にしていないことへの不満が高く、「屈辱外交反対」の学生デモが激しくなりました。韓国政府は1965年8月に、軍隊を出動させてデモ隊を排除し、国会で与党が強行採決しました。一方、日本では「北朝鮮を国として認めていないこと」などから社会党や共産党の反対運動が高まりました。しかし自民党は衆・参両院で強行採決を繰り返し、12月11日に、条約は成立しました。

親日的であった韓国・朴政権によって結ばれた日韓条約であっても、日韓両国が決して譲ることのできない点が残りました。「韓国政府が朝鮮半島における唯一の合法政権である」ことや、「日韓併合条約」の考え方に、相違点があったためです。日本側の心配点は、将来の北朝鮮との交渉開始への憂慮でしたし、韓国側は日韓併合条約そのものの否定を貫きたい強い意向のためでした。

「日韓条約」は、日本語と韓国語、加えて英語の三ヵ国語で文書が作成されました。解釈に相違が出た場合は、「英文に基づく」という異例の形式をとっていたので、日韓両国は「玉虫色の表現」で合意していたようです。   つづく

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