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2014年5月14日 (水)

「日本現代史」 36. 1945-2001年(6)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 108.として記述します。

☆ 「日本現代史」 36. 1945-2001年(6)…日韓条約…

1952年(昭和27年)2月に始まった日韓交渉は、難航に難航を重ね、なかなか進展しませんでした。そんな状況下の1953年に、日本側の久保田 貫一郎主席代表の発言がさらなる紛糾を引き起こしてしまいました。「日本は韓国に対していいこともした」という、いわゆる「久保田発言(韓国側は「妄言」と表現)」です。「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したり、当時の大蔵省は多い年で2000万円も持ち出していた」との発言に対し、韓国側は、「1000万円とか、2000万円とかの補助は韓人のために出したのではなく、日本人のために出したもので、その金で警察や刑務所をつくったではないか」と強く反発したのです。

1950年(昭和25年)6月に始まった朝鮮戦争は、1953年7月に休戦になりますが、休戦協定に署名したのは、中朝連合軍代表・南日朝鮮人民軍大将と国連軍代表のウイリアム・ハリソン・米軍中将のみで、李承晩大統領は署名していません。彼は「北進統一」に固執していたためです。それでも韓国大統領を罷免されることもなく、李承晩時代は1960年4月まで続きました。

難航している「日韓交渉」は、1960年になっても妥結の見込みも無く続いていました。ところが1961年(昭和36年)の韓国の政変後、交渉は急進展したのです。朴正ヒ(パク・チョンヒ)陸軍少将が軍事クーデターで政権を握りました。正式に朴大統領誕生後の1963年からいくつかの理由で、日本との関係改善に動きだしました。韓国の近代化を進める経済開発資金を日本から得るためと、再び朝鮮戦争が始まったときに備えて隣国・日本との関係を良くしておきたい安全保障上の理由だったといわれています。

予備会談も含め13年間進展のなかった「日韓交渉」は、1965年(昭和40年)6月22日に、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」が、日本の総理官邸で調印されました。   つづく

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