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2014年5月13日 (火)

「日本現代史」 35. 1945-2001年(5)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 107.として記述します。

☆ 「日本現代史」 35. 1945-2001年(5)…日韓条約…

1950年(昭和25年)6月に始まった「朝鮮戦争」で、米国を中心とする国連軍が韓国を支援しましたが、社会主義勢力との対抗上「日本と韓国の密接な協力関係」が必要になりました。1948年に韓国の初代大統領に就任した李承晩は、反日色を強く打ち出しており、米国の仲介で、「日韓会談の開催」に渋々同意しました。

ところが、会談開催前の1952年1月、「李承晩ライン」という領海ラインを宣言しました。日韓の水域は隣り合っていますが、戦後米国の設定した「マッカーサー・ライン」より、かなり韓国に有利な領海線を設定し、一方的な宣言を行ったのです。韓国の設定したこのラインを越えたとして拿捕された日本漁民は1965年(昭和30年)までに、3929人にのぼりました。多くの日本漁船は没収され、韓国軍に銃撃されて死亡する漁船員まで出るほどで、日本側の不満の声が高まりました。

李承晩ラインが設定された翌月の1952年2月に、米国の仲介もあるので、「第一回日韓会談の本会議」が開催されました。この会談は、予想された通り、難航しました。韓国は、日本の朝鮮半島支配によって、被害を受けた国民への「損害賠償」を求めました。一方の日本政府は、敗戦直後に米国に没収され、その後韓国政府に譲り渡された「日本財産の返還」を要求しました。一貫して、日本政府は「賠償」を認めませんでした。

日本政府は、「賠償は敗戦国が勝利国に払うもの」として、戦争相手ではなかった韓国に支払う必要はないと主張したものです。また、この支払いを実施すれば、「韓国併合は合法的なもの」という日本の主張と矛盾することになりますので。交渉はこの問題をめぐってたびたび中断しました。

このほか、「韓国併合条約」をどう評価するか、在日韓国人の地位をどうするか、などをめぐっても意見が対立しました。   つづく

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