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2014年5月 9日 (金)

「日本現代史」 33. 1945-2001年(3)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 105.として記述します。

☆ 「日本現代史」 33. 1945-2001年(3)…日韓条約…

大韓帝国(韓国)が日本に併合された1910年(明治43年)8月を振り返っています。併合された後、旧韓国は、日本の天皇の代理の統監(今後は「総督」と表現します)が統治しました。総督の命令が法律になり、日本国内で成立した法律は、朝鮮半島では勅令(天皇の命令)になりました。このとき、韓国の人々を代表する国会のようなものは存在しませんでした。

学校では日本語の使用が強制され、1939年になると朝鮮独自の戸籍を日本式に変更させる「朝鮮民事令」が施行され、日本風の「姓と名」に変える「創氏改名」が強行されました。朝鮮半島各地にも神道・神社が建設されたのです。日本に反対する人々は、総督府から厳しく弾圧されました。

1919年1月に、日本によって軟禁状態にされていた旧大韓帝国皇帝・高宗が死去すると、「日本によって毒殺された」という噂が広がって反日感情が高まりました。3月1日に反日感情を持つ多数の人々がソウルに集まって、「独立宣言」を発表しました。これが後に「三・一運動」と呼ばれます。この独立運動は、日本の総督府によって弾圧されましたが、朝鮮半島の外に居た人々は上海で、「大韓民国臨時政府」を組織していたのです。後に大韓民国の大統領になる米国在住の李承晩が、臨時政府大統領に選ばれていました。(1925年まで)

現在の韓国の青少年に大きな影響を与えるはずの「韓国の高校の国定・歴史教科書」に、「三・一運動」時の日本の総督府が行ったという蛮行が次の通り記述されています。日本側にも言い分があって、誇大な表現になっているとのコメントはありますが…。

「三・一運動」に狼狽した日帝は、憲兵警察はもちろん、陸海軍まで出動させた。平和的な示威によって正当な要求を主張したわが民族は、無差別の銃撃によって殺傷され、家屋と教会、学校などの建物が焼き払われたり、破壊されるなど激しい受難にあった。…日帝軍警に殺された人は7509人、負傷者は1万5961人、逮捕された人は4万6948人であり、破壊、放火された民家が715戸、教会が47ヵ所、学校が2ヵ所であった。…と。

国号を「大韓民国」とした旧大韓帝国は、1948(昭和23年)年7月に新憲法を公布し、8月15日に、米国の承認を得て李承晩初代大統領が、「大韓民国の独立を宣言」しました。新憲法の前文に、日本にとって不都合な記述がありました。「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統(歴史的な正当性)を継承し…」と。

新独立国・大韓民国(新韓国)は、「反日」を掲げて独立を宣言した「三・一運動」を継承すると謳い、反日運動の反日組織だった「大韓民国臨時政府の初代大統領」だった李承晩が大統領に就任したのです。今につながる「反日のルーツ」は、新国家独立時から存在していたようです。   つづく

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