« 「日本現代史」 31. 1945-2001年(1)…日韓条約… | トップページ | 「日本現代史」 33. 1945-2001年(3)…日韓条約… »

2014年5月 8日 (木)

「日本現代史」 32. 1945-2001年(2)…日韓条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 104.として記述します。

☆ 「日本現代史」 32. 1945-2001年(2)…日韓条約…

1945年(昭和20年)8月15日に日本が降伏して、「日帝時代36年」が終わり、朝鮮は日本から切り離されました。日本に併合されるまでの、朝鮮半島の状況を振り返ってみます。

中国大陸の明や清に朝貢する関係の「李氏朝鮮」は、高麗の次の王朝で、1393年に高麗の武将・李成桂によって設立された王朝です。(朝鮮国王として、明から冊封を受けたのは太宗の1401年)中国の王朝が明から清に変わっても、李氏朝鮮は、引き続き、中国王朝の冊封体制化にありました。1895年の日清戦争後、戦勝国日本と清国との間で結ばれた「下関条約」によって、「李氏朝鮮の清王朝の冊封体制からの離脱と、近代国家としての独立」が決められました。1897年に、李氏朝鮮は国号を「大韓帝国」とし、君主の号を「皇帝」と改めました。以後日本の影響下に置かれました。

その後日本は、大韓帝国との間で、3度にわたる「日韓協約」を締結し、韓国を「日本の保護国」にしてしまいました。1904年8月の第一次日韓協約では、「大韓帝国は、日本政府の推薦する日本人一名を財務顧問に、外国人一名を外交顧問として雇い、その意見に従わなければならない」と決めました。1905年11月の第二次日韓協約では、「大日本帝国による大韓帝国の保護国化」を決めました。日本政府を代表する「統監」を設置したのもこの協約によったものです。この協約は、異常な状況下で署名されたといわれています。日本の憲兵隊が包囲する中で開かれた大韓帝国の閣僚会議に、伊藤博文特派大使が乗り込んで、調印を認めさせたのです。この調印で、大韓帝国は外交権を日本に譲渡し、実質的に独立国の地位を失ってしまいました。

1907年6月、オランダのハーグで開催された「万国平和会議」に、第二次日韓協約を不満とする大韓帝国の高宗が密使を送り込みました。「ハーグ密使事件」と呼ばれる事件でしたが、列国からは「大韓帝国には外交権が無い」ことを理由に拒絶されてしまいました。

1907年7月に、日本政府はハーグ密使事件を理由に高宗を退位させ、同じ月に第三次日韓協約によって、「日本が送り込んだ統監による、大韓帝国内政権の掌握」を決めました。そして、1910年(明治43年)に、「大韓帝国併合に関する条約」で、大韓帝国はなくなって、日本の一部になったのです。   つづく

|

« 「日本現代史」 31. 1945-2001年(1)…日韓条約… | トップページ | 「日本現代史」 33. 1945-2001年(3)…日韓条約… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/118025/59595452

この記事へのトラックバック一覧です: 「日本現代史」 32. 1945-2001年(2)…日韓条約…:

« 「日本現代史」 31. 1945-2001年(1)…日韓条約… | トップページ | 「日本現代史」 33. 1945-2001年(3)…日韓条約… »