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2014年4月21日 (月)

「日本現代史」 22. 1951-2001年(2)…安保条約…

海外ロングステイ先で歴史研究 94.として記述します。

☆ 「日本現代史」 22. 1951-2001年(2)…安保条約…

1957年(昭和32年)2月に首相に就任した岸 信介自民党総裁は、1951年に結ばれた古い安保条約を、完全独立した日本に相応しいものに変えたいと「安保条約改定」をめざしました。自ら訪米し、交渉を続け、米国の合意を取り付けました。そして、1960年(昭和35年)1月19日に、再び訪米し、「新しい安保条約」に、ワシントンで調印しました。正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(今後『新安保条約』と表現します)」で、先の条約との大きな違いは、「相互協力」という言葉が新たに加わったことです。

新安保条約には、日本が侵略された場合の「米軍の支援義務」を規定しました。従来通り日本からの米軍への「基地提供」を決め、日本と日本にある米軍基地に対する武力攻撃に対しては、日米両国が共同で対処することも明記されました。

日本に駐留する米軍は「極東」での平和と安全を確保するために、日本の基地を使用できることになりましたが、「極東の定義」は、曖昧なままでした。独立国家・日本が主張し、米国に認めさせたのは、恣意のまま米軍が行動するのを規制する「事前協議」条項を入れたことでした。在日米軍の配置・装備の重要な変更、日本から行われる戦闘作戦行動のために日本国内の基地を使う場合は、日本政府との事前協議が義務付けられました。

この岸内閣の新安保条約締結に向かう動きを見て、条約調印前の1959年3月に、社会党・共産党や労働組合などでつくる「安保改定阻止国民会議」が結成されました。ところがこの運動に対して、当時の国民の関心は低く、反対運動は、盛り上がりませんでした。     

岸首相が米国で署名した新安保条約は、国会での批准が必要ですので、衆議院に「安保特別委員会」が設置されました。社会党議員の政府追及が激しく、審議は長引きました。そこで、1960年5月19日の深夜、与党・自由党は「強行採決」に踏み切りました。さらに、清瀬 一郎衆議院議長は、議員の揉みあいを制するため、「警官隊を国会へ導入」したのです。そして、5月20日の未明に清瀬議長は本会議を再開し、野党議員ばかりでなく自民党の反主流派も欠席のまま「安保条約承認」を与党は強行したのです。   つづく

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