スペイン人の破壊や略奪を逃れた「マチュピチュ遺跡」
新・南米ペルー紀行 13.として記述します。
☆スペイン人の破壊や略奪を逃れた「マチュピチュ遺跡」
ペルー・レイルのオリャンタイタンポ駅から、ビスタ・ドームという列車に乗
り込む前に茹でたトウモロコシ売りの女性に出会い、購入しました。日本で見るトウモロコシの4倍もあろうかという大きな粒でした。味は悪くありません。インカ帝国のお祝いの日にはチチャというトウモロコシから作った酒が神殿に供えられたといわれています。
米も麦もないインカ帝国の全盛時に、王が600万人の民を統率したことは謎ですが、トウモロコシとジャガイモが食料を支えたことに驚かされます。普通ならすぐに腐ってしまう、ジャガイモの水分を抜いて、インカ人は長期保存法を知っていたようです。
8時53分オリャンタイタンポ駅を出た列車は、128kmを走り約1時間半で
標高約2000mのアグアスカリエンテス駅(最近の通称は「マチュピチュ駅」)に着きました。途中の82km地点に吊り橋が架かっていますが、これより先は自動車道は無く、マチュピチュに到達する交通手段は鉄道だけになるそうです。
駅からマチュピチュ遺跡の入り口までは乗り合いバスで、8kmの九十九
折の坂を13回曲がり、400m上りました。
この険阻な山中にある標高2940mのマチュピチュ山(「古い峰」の意味)と標高2690mワイナピチュ(「新しい峰」の意味)を結ぶ尾根にまたがる太陽の神殿を中心とした「空中都市マチュピチュ」は、標高2400m地点にあって、5平方kmの広さをもっています。その約3分の2は山の斜面を利用した段々畑の農地で、遺跡の周囲は高さ5m・厚さ1.8mの城壁で固められています。
マチュピチュが現代社会に知られるようになったのは、1911年に米国イエール大学の南米史教授ハイラム・ビンガム(1875年ハワイ生まれの米国人)の率いた探検隊が原住民の案内でこの遺跡を探してからで、まだ100年も経っていません。
インカ人がこの地を教えることをせず、またインカ帝国が滅亡した1530年代以降に、文明社会から持ち込んだ疫病が蔓延したために原住民の90%が亡くなってしまったことが影響したものと思われます。
結果として、マチュピチュ遺跡はスペイン人の破壊や略奪を逃れることができたわけです。
1983年、マチュピチュは世界中で30ヵ所しかないという「複合世界遺産(世界文化遺産と世界自然遺産)」と、認められました。 つづく
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